こんにちは!
今日は私の小さい頃のことをお話ししたいと思います。
私は和歌山県出身です。
和歌山の下津というところで生まれました。昔は「海南市」ではなかったのですが、今は海南市下津町ということになっているみたいです。
両親共に和歌山県人なので、私の血としては和歌山県人です(^.^)
親戚の人たちもたくさん和歌山に住んでいます。
和歌山の方言があり語尾が「~がよー」「~してるんよー」と、「よー」を使うのですが、いまだに両親や姉と話す時だけ出ます(*^^*)
なかなか強烈な方言なのかもです。
両親と姉の4人家族です。
両親と
姉と。
幼稚園年中の年に、父親の転勤で埼玉県草加市に引っ越しをしました。
草加市では団地のすぐそばに片側4車線ある国道4号線があり、小児喘息を発症する子供が多く、私も姉も発症したので5年生の頃千葉県の検見川というところに引っ越しました。
草加市に住んでいた頃は、とにかく外遊びが好きで、団地内にあるブランコに乗りまくりものすごい高くまでこいでスリルを味わっていました。
ローラースケートをして思いっきり尻もちを着き一瞬呼吸が出来なくなったこともありました。
ゴム跳びや縄跳びもよくやっていました。
その辺にある木いちごを取って食べたり、桜の蜜を吸ったりつつじの蜜も吸いました(何でも吸いまくり^^)、どぶ川に落ちそうになるスリルを味わいながらフェンスを伝って歩いたりもしました。
国道の向こうまで自転車で行き「タコチュー」を堀りに行ったこともありました。(タコチューとは小さい吸盤のついたタコみたいな形のおもちゃみたいなの)
とにかく遊びまくっていました(*^-^*)
遊びに夢中になり、門限(何時か忘れたけど)に間に合わず、鍵を締められて家に入れず、当時団地の1階に住んでいたので外から母親がいる台所を覗いて入れてくれ!アピールをしたことを覚えています(^.^)
夏休みには毎日早朝のラジオ体操に行き、学校のプールに行ったり和歌山のおばあちゃんちに遊びに行き真っ黒になっていました。
真っ黒になって9月の始業式を迎えることが良いとされていて(私の中で?(^.^))白いと「遊べなかった」みたいな感じで黒い自分を誇りに(笑)思っていました。
和歌山のおばあちゃんのところには姉と二人で「青春18切符」で行ったこともありました。
埼玉の草加から東京へ行き、東京から新幹線で新大阪まで行き在来線で天王寺まで。
天王寺駅にあるうどん屋の匂いが実にいい匂いで美味しそうだなぁ~食べたいなぁ~♡と思っていました。
1度だけ食べた記憶があります。
天王寺から南海電車に揺られて「切目駅」まで行くと電車酔いをして気持ち悪くなりました。
今はきれいになっている駅
おばあちゃんちから帰る時は毎回寂しくて駅で「バイバーイ」をするときに泣いていたのを覚えています。
おじいちゃんおばあちゃん、優しかったです。
そして、夏休みの宿題は基本直前に慌ててやるスタイル(^.^)適当にやって終わらせていました。
自由研究の工作は好きでしたね~。
振り返ると、遊んだことしか覚えていません。
遊びに遊んだ幼少期でした(*^^*)
今の小学生がスマホを使いこなしていることを考えると全く違う幼少期を過ごしていましたね。
なんてことない私の幼少期の話(^^;)
でも、こういう時代に色んなことを遊びから学んだからこそ今の私があって、たくさんの経験がこれからも生きてくるような気がしています!